認知症の方に「触れる」ということ
在宅ケアの現場では、認知症の方に触れる機会が日常的にあります。マッサージという仕事柄、当たり前のようにやってきたことですが、最近この「触れる」という行為の意味を、改めて考えさせられる機会がありました。
きっかけは、大井玄先生(東京大学名誉教授)と帯津良一先生の対談を読んだことです。以前の物忘れの記事で触れた「同じ質問を繰り返す」という行動も、この対談とつながる部分があります。
認知症の周辺症状は、「不安」から生まれる
大井先生は、認知症で怒りっぽくなったり、混乱したりする周辺症状の背景に「不安」があると指摘していました。認知能力が落ちていく中で一番強く残る感覚は、次に何が起きるか分からないという不安であり、それは世界とのつながりが切れた感覚でもある、という考え方です。
対談では、沖縄でのある調査結果も紹介されていました。都市部と沖縄の高齢者を比較すると、認知症の有病率自体は変わらないのに、怒りっぽさや妄想などの周辺症状は、沖縄でははるかに少なかったそうです。
沖縄は時間の感覚がゆったりしていて、多少のことでは誰も咎めない。高齢者への敬語文化も発達していて、認知能力が落ちてもプライドが保たれやすい。そうした環境の違いが、症状の出方にまで影響していたということでした。
本人を急かしたり、間違いを正そうとしたりせず、安心できる関係の中に置いておく。それだけで、症状そのものが和らぐということなのだと思います。
「触れること」は、2500年前から大切にされてきた
大井先生は、仏教の古い経典(マッジマ・ニカーヤ)にも触れていました。
人間が生きていくために必要なものとして、食べること、意識を持つこと、意欲を持つこと、そして接触することが挙げられているそうです。接触というのは、直接肌に触れることだけを指すのではなく、心で触れる、目で触れる、声で触れることも含まれるといいます。
相手に警戒心や恐怖心を持たせず、つながりを保つ。フランス発祥で日本の介護現場でも広がっている「ユマニチュード」というケア技法も、根っこにあるのは同じ発想です。ゆっくり、優しく触れる。それだけのことが、大きな意味を持っています。
現場で感じてきたこと
この話を読んで、腑に落ちるものがありました。施術で手を当てているとき、こちらが意図していなくても、利用者さんの表情がふっと緩む瞬間があります。言葉でのやり取りがうまくいかなくなっていても、触れることそのものが、何かしらの安心を届けているのだと思います。
何度も同じ質問を繰り返す方も、施術の間だけは落ち着いて過ごされることが多いのです。マッサージという行為が、言葉を介さない「つながり」の確認になっているのかもしれません。
ナイス・エイジングという考え方
対談では、認知症を「治すべき病気」としてではなく、老化に伴う自然な変化として受け入れる、「アンチ・エイジング」ではなく「ナイス・エイジング」という言葉も出てきました。認知症になることを恐れて抗うのではなく、できるだけ穏やかに、周りとのつながりを保ちながら受け入れていく。そんな姿勢です。
家族の立場からすると、物忘れや変化に気づいたとき、つい正そう、元に戻そうとしてしまいがちです。でも、本人を否定せず、安心できる関係の中に置いてあげることの方が、結果として本人を穏やかにする。この対談を読んで、改めてそう感じました。
参考:大井玄先生・帯津良一先生の対談記事
https://dot.asahi.com/articles/-/119688?page=1


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